「おう、零一いるかぁ?」
季節はもう春。そんな日の正午過ぎた頃に彼、氷室零一の昔からの親友、益田義人は彼の自宅を訪ねてきた。
「珍しいな。おまえがこんな時間に俺の家に来るとはな。待て。今ロックを解除する。
「おう。今日は店は定休日だ。バイトの奴がな休みなんだ。まあ、折角だからおまえの仏頂面でも拝みに行こうかなあと。」
益田はいつもの様に氷室を軽くからかいながらソファに腰を落とした。
ふと、機能的なガラスのテーブルの上に有るものを見付けた。採集箱に整然と並べられた鉱物標本…その脇には淡いブルーの包装紙に濃紺のリボン?!
「おいっ?!零一?これ誰かにやるのか?」
「何か問題か?俺のクラスの生徒に教材として渡すだけだが?」
「教材ねぇ…。教材ならラッピングなんかしなくてそのまま渡せば良いじゃあないか?」
「…一応、これはバレンタインのお返しだからな…」
氷室は目線を下に落とし顔を赤らめた。
「なるほどなあ。例の女子生徒さんにホワイトデーの本命返しってな訳だ。けど、今時の女子高生ってそんなもん貰って喜ぶのか?」
「ああ。喜ぶとも。…コホン。彼女は我が氷室学級の誇る向学心旺盛で優秀な生徒だからな。」
(零一…おまえ少しは女心ってのを勉強した方がいいじゃないのか…)
益田は友人のこれからを案じるように呟き溜息をついた。
数日が過ぎ、今日は3月14日、ホワイトデ-。はばたき学園の厳格な数学教師、氷室零一教諭は白い紙袋を手に下げて廊下を歩いていた
びしりとスーツに身を包み長身の彼は眉間に皺を寄せ端正な彼の顔の口元は引き攣っていた。氷室は数時間前を回想していた。
朝、氷室がいつも通りの時間に登校し職員室の自身の席に行くと彼の席には白い紙袋が置いてあった。
氷室が不審そうに紙袋を調べようとした時、不意に声をかけられた。
「おはよう。氷室君。」
氷室に声をかけたのは学園の理事長、天之橋一鶴だった。
「理事長。おはようございます。ところで私の席に置いてある物について伺いたいのですが宜しいでしょうか。」
「ああ。これの事だね?なに先日のレディ達からの贈り物に対するお返しだよ。今年は当人が直接お返しを、が趣向なのだよ。」
「…しかし、理事長。これは多すぎるのでは無いでしょうか?」
「いいや、氷室君。間違いは無い筈だよ。君宛てのチョコはこのリスト通りだよ。さあ、レディからの素敵な贈り物に対してお返しをするんだよ。これは理事長命令だ。」
氷室宛てのチョコは一つを除き全て男性教師に平等に分配されていた。
「理事長、例のレディ候補生から貰えなかったからって…」
理事長が去って行った後、同じ様にノルマをかせられた隣席の男性教師がこぼした。
「レディ候補生?」
氷室は思わず聞き返した。同僚の教師達と普段から必要最低限の事しか話さない氷室に理事長のゴシップ話は初耳だった。
「知らないんですか?氷室先生!だって例のレディ候補生は先生のクラスの…」
と言って彼は黙り込んだ。氷室はそれ以上追求する訳でも無く席に付き、普段通りに授業の準備を始めた。
先月、彼自身の手に渡った唯一のチョコレート。
そのお返しの為に規則正しい彼には珍しく就寝時間を削り製作した…ブルーを基調のラッピングされた彼自身の手製の鉱物採集セットを彼女に…氷室学級のエースであり彼の自慢の生徒…にどう渡すかと思案を巡らしていたからだ。
彼自身は知らない…。その氷室学級のエースである彼女と理事長のレディ候補生が同一人物である事実を…
「これは男性教師一同から、女子生徒全員にホワイトデーのお返しだ。以上。」
やっと最後の生徒に配り終わり氷室は安堵のため息をついた。時刻はもう遅い…
(彼女はもう帰ったのか)
部活動で遅くなった生徒さえまばらな校内…。
ふと、フルートの音色が彼の耳に聞こえた
氷室は踵を返し、その音色のする方向に早足に向かった。
学園の屋上…そこに彼女はいた。
「ここにいたのか?」
氷室は紙袋からブルーの包装紙に包まれた箱を取り出した。
春の斜陽の光に照らされた彼女はフルートの演奏を止めてじっと氷室を見つめた。彼女のキラキラした瞳には氷室と海に沈んでいく夕日が映っていた。
「…コホン。これは先月のお返しだ。」
彼女は満面の笑みをうかべて彼から包みを受け取った。
「…遅くなって済まなかったな。」
彼女は気遣う氷室に対してかぶりを振り、嬉しそうに微笑んだ。
「さあ、家まで送って行こう。問題ない。君の家は私の家の近所だ。」
彼女は急いでフルートをケースにしまい彼に付いて行った。