夏休み。真っ青な空に眩しい太陽。白い雲が水平線に横たわる。
登校している生徒はクラブ活動、又は涼しい図書室で思い思いの時間を過ごす。

「若ちゃん先生、買うてきたアイスクリーム、冷蔵庫に入れさせてくれへん?」
理科準備室のドアを勢い良く開けるはるひに手を引かれて立夏も入室する。
のほほんとしていて生徒に対し友好的ではあるけれど一応、教師だと思いはるひを窘めながら会釈をした彼女の視線の先には見慣れない子供がいた。
見慣れない、いや、でも何度か会っているような……
歳は3歳位だろうか?でも一般的なその年齢の子供はみせないであろう不機嫌極まりない表情を浮かべ眉間に皺寄せて若王子を静かに睨みつけている。
冷蔵庫に無事にアイスクリームを入れてきて満足そうに笑顔を浮かべた、はるひは立夏の視線の先に気付いて大袈裟に驚きのリアクションをとった。
「なんや?若ちゃん先生の隠し子なん?」
「ち、違いますよ。西本さんっ!先生はまだ独身ですっ!」
慌てて否定する若王子はチラリと立夏を見る。
「でも若王子先生の歳ならこの位の子が居てもおかしくないよね」
サラリと笑顔ではるひに返す立夏に若王子は心の中で少し泣いた。
「私は若王子先生の隠し子で断じてない」
沈黙を続けていた幼児が突然、口を開いてきっぱりと否定をする。
よく見ると大人物の上等なスーツにシャツ、ネクタイをしている。
椅子の下にはズボンも落ちていた。
どれもサイズが合わずブカブカだったが。
そして、彼の脇にはシルバーフレームの大人用の眼鏡が置かれていた。
立夏は頭の中で次々にピースを繋げて……常識的では考えられない結論を紡ぎだした。
机の上には多分、若王子が提供したのであろう、ビーカーに入ったコーヒー。そして、立夏の知っている人間に酷似した幼児。
立夏はもう一度有り得ないよね……と呟き息を深く吸い込み吐いて深呼吸を繰り返し気持ちを落ち着かせてから恐る恐る尋ねた。
「もしかして……氷室先生ですか?」
立夏の問いにはるひは唖然とした表情を浮かべ、若王子は気まずそうに視線を逸らす。
一人、気難しい顔をした幼児は溜息をつくと
「そうだ。私ははばたき学園教師、氷室零一だ」
と答えた。

事の始まりは数時間前に遡る。
はばたき学園と羽ヶ崎学園の教師親睦会として羽ヶ崎学園に来訪した氷室は若王子の専門的な知識に基づいた発言に興味を持ち、ゆっくりと話をしたいと申し出て理科準備室へ若王子に招待をされた。
「少し、待っていて下さい。コーヒー淹れますから」
「いえ、お構いなく」
数分後、目の前に置かれたビーカー入りコーヒーに氷室は唖然としたが、せっかく相手が好意で出してくれたものだと口をつけ……

「で現状に至った訳だ」
氷室は不機嫌そうに若王子を一瞥し若王子はその視線にシュンと肩を竦めた。
「一体、あなたはあのコーヒーになにを入れたんですか?」
溜息混じりで尋ねる氷室に指折り数えながら
「インスタントコーヒーと……氷室先生、お疲れな様でしたからリラックス効果のある成分に体力を回復させる成分と……あ、頭が良くなる成分も入れておきました」
ポンと両手を打ち満足そうな笑みを浮かべる若王子に氷室はわなわなと肩を震わせ言葉が見つからないようだった。
立夏はその気まずい空気を打ち消す様にわざと明るい声を出した。
はるひは氷上を呼びに行くようにと立夏に頼まれて席から理科室から駆け出していった。
「えっと、若王子先生。元に戻すお薬は作れるんですよね?」
「それは勿論です。成分を分析したりとか少し時間はかかりますけど……」
氷室の刺すような視線に若王子の言葉は次第に小さくなり最後の辺りは聞き取れなかったが、
「時間がかかっても必ず元に戻していただきたい。必ずです!」
怒声に満ちた発言をすると氷室は頭を抱えた。
密かにそれを見て立夏は心の中で思わず可愛いと叫んでしまった。

「れ、零一兄さんなのかい?」
はるひに伴われて生徒会執行部の話し合いを途中退席してきた生徒会執行部会長は驚きの余りに上擦った声を上げた。
「そうだ。実に問題だ」
ブカブカのシャツの袖を捲り上げながら氷室は答える。ブカブカのシャツの袖を片方捲り上げると片方が下がる。
苛立ちながらその作業を続ける従兄に格は口にしてはならない言葉を出しかけて慌てて口を噤んだ。しかし、格を伴ってきたはるひは瞳をキラキラと輝かせ頬を紅潮させて禁断の言葉を発してしまった。
「めっちゃ可愛ええなぁ」
「……可愛い?」
シャツを捲り上げる手をピタリと止めて氷室ははるひを見る。見るというより睨んでいるという表現が正しかった。
「可愛いという言葉は成人男性に対し不適切……うおっ!!」
いきなりはるひに抱き締められた氷室は叱る言葉を忘れて慌てて腕から逃れようともがいた。
「こ、こら!離しなさいっ!教師に対する過度のスキンシップ行為は禁止だっ!」
一連の様子を黙って見ているしかなかった格は隣に居る立夏に視線を向ける。立夏は体をウズウズさせて二人を見ていたが、
「もう、我慢できないっ!はるるだけズルいっ!」
と一声残して彼らの仲間に入っていった。
「こらっ!水瀬まで何をするんだ!止めなさいっ!」
周囲の騒ぎを聴きながら格は携帯を取り出して事の収拾をしてくれるであろう人物に連絡をとった。
「先生も子供になりたいです……」
「同感です」
若王子の発言に格も立夏の氷室に対する接し方を見ていてそう思えずにいられなかった。
半刻後、理科準備室のドアが勢いよく開かれ乱れた髪を整えもせずに息を整えながら女性が一人入ってきた。
「れ、零一さん?」
半ば、もみくちゃ状態な幼児を見て彼女は驚きの声を上げた。
はるひと一緒にトランス状態だった立夏は氷室の最愛の人の登場に慌てて氷室から身を離した。
はるひも釣られて氷室から離れる。
「澪さん、お久しぶりです……」
あははは……。と気まずそうに苦笑いを浮かべる立夏に澪は久しぶりね。と応えて氷室の元へとツカツカと歩いていく。
「流石だ。零一兄さんが選んだ女性なだけあるな」
落ち着いた態度で氷室に向かって歩いていく澪に格は思わず感嘆の声を上げた。
氷室の前へ来るとスッと中腰になり氷室の手を重ねるように握り
「だいたいの話は格くんから聞きました。零一さん……」
「澪?」
澪は俯いて小さく呟いた。

「心配、したんですからね……」
「そうか、すまなかったな」
俯いたままの相手に泣いているのか?と問いかけようとした氷室はいきなりムギュっと抱き締められた。
明らかに立夏達の抱擁より……がある分、刺激的だった。
「可愛い〜!!特にその口調とのアンバランスさが溜まりませんっ!」
更にムギュ〜と抱き締められ氷室は慌ててもがき逃げようとするが更にきつく抱き締められた。
「女性って……」
格は遠い目で窓の外に視線を向けた。

「若王子先生に元に戻るお薬は必ず作ってもらうとして、現問題は零一さんの私生活ですね」
抱き締めまくって満足したらしい澪は落ち着きを取り戻し必ずという部分を強調し提案をした。
「 はい。必ず作ります」
シュンとうなだれる若王子にその場に居る面々はうんうんと頷く。
一人、抱き締められまくって疲労困憊しきった氷室を除いて。
「確かに学校は今は夏休みだから問題ないとしてその身体では日常生活に差し障るよな」
格は学園内の自動販売機で購入してきた缶の緑茶を開けながら応えた。
「服とかも買わなきゃいけないとちゃうん?
ウチ、めっちゃ選び倒したいわっ!」
喜色満面といった風にアイスクリームを食べながらはるひが提案をする。
「それ、良いねっ!えっと、何が似合うかなぁ。いっそのこと子供らしくスポーティーとか?」
はるひから貰ったアイスクリームを食べながら立夏もはしゃぎ声を上げながらはるひの提案に頷く。
「そうよね。普段スーツばかりだから違うスタイルもありよね」
澪も缶ジュースを片手に楽しそうに頷いた。
「じゃあ、まずは零一兄さんの衣服調達からだな」
格は溜息を一つついて席から立ち上がった。
紙パックの牛乳を与えられた氷室も不承不承な体で頷くと澪に抱き上げられた。
「こら!私は一人で歩けるっ!」
「移動速度の短縮です。我慢して下さい」
彼らは学園内から出て停めてあった澪の愛車に乗り込んだ。

「チャイルドシートはないですからね。立夏ちゃんかはるひちゃん、隣で抱っこしてくれないかな?
サングラスをかけながら言う澪に氷室はブンブンと横に首を振る。結局、氷室のチャイルドシート役は格の役となった。
シートベルトを締めて氷室をしっかりと抱きしめた格は自身に父性愛が芽生えていくのを感じていった。
「昔はこうして君を抱いた事もあったが、まさか君にこうして抱かれるとはな」
「貴重な経験をしているかもですね。兄さん」
「こういった経験は一度だけで結構だ。以上」
自分らしくない少し感傷的な発言に氷室は咳払いをし窓の外に視線を向けた。